plenty、そして江沼郁弥

この文章に関してはすごく長くなる。
前記しておく。

私は12歳の頃からplentyが好きで
中学2年生の時、
親に頼んでライブ行かせてもらった。

当時のお小遣いじゃチケットなんて
高くて買えないから
親にお願いして取ってもらって
行った。

plentyを好きになったきっかけは
ロッキンで取り上げられてて
「ぼくのために歌う吟」
がプッシュされてて
最初顔いいなあなんて思いながら
youtubeで聴いたら
涙出ちゃって。

中学生なんていじめ当たり前
部活の上下関係
クラスの好きな人の取り合い
そんなのばっかりだったから
人間が嫌いでたまらなくて仕方なかった。

その時この歌聴いてさ、
こんなに人の傷口えぐるのすごいなって
ある意味衝撃を受けた。

でも声や歌詞やメロディー全てに惹かれて
絶対ライブ行こうと思った。

そして前述した通り行った。

私その時BUMPとRADしか行ったことなくて
ライブってみんな盛り上がるものって
無知なまま行ったのね。

そしたら誰も声を上げない
腕も上げない
そんな空間で驚いた。

だけどもっと驚いたのが
それがこのバンドには正しい
この空間が居心地いいと思った。

2010年7月3日 恵比寿LIQUIDROOM
今も覚えてるよ。

透き通る歌声と
皆んながそれを求めて息を飲んで観る。
それで成り立つライブってなかなかないよ。

今は年30回以上ライブ行くようになって
ある程度わかってきたところもあるけど
あの時のplentyのライブほど
邪念というか
誰一人としてこのライブを盛り上げよう
なんて思ってなくて
純粋にみんなplentyを求めてた。

それを目の当たりにした時
私の中でplentyは特別になったんだ。

後々語ってたけど
江沼くんライブすることが好きじゃなくて
いつも憂鬱だったって
インタビューで言ってた。

それでも全身全霊で届けてくれる音楽は
私のことを救ったし
少なくともplenty好きな人は
plentyに支えられていたと思う。

面白いことに
最初は傷口に塩を塗るような曲ばかりで
自分の境遇を励ますなんてものじゃない。
自分の辛さをもっと押してくる
そんな曲ばかりだった。
それでも私はそれに救われた。
同じ思いなんだなって。

でも年を重ねるごとに
傷口を抉っていた曲が
そっと寄り添う曲になっていって
どんどん進化していった。

本人たちはそれが狙いだと言ってたけど
私はそれが嬉しくてたまらなかった。
それが意図的ならば
どれだけ天才なのだろうって。
その変化が嬉しくて
毎年毎ツアー行って泣いてた。

最後の方なんて愛について歌ってたから
ああそろそろ結婚するかなって
思ってたら案の定結婚したよ。
でも嬉しかった。
ずっと昔から見てきた、
ライブが好きではないと言ってた江沼が
結婚するってなって
もっともっと音楽の幅が広がるって
嬉しかったんだ。

でも2017年解散。
ラストツアーは号泣して観れなかった。
もうこのツアーが終わったらラストライブ。
そんなの考えたくなくてさ
どうやってこれから生きていけばいいのか
ずっと考えてたよ。
ライブ中にっちに笑われるくらいには
沈黙の中声あげて泣いたよ。

最後のロッキンもそう。
今まで「またね」だったのが
「さよなら」になった。
さよならの次はないんだよ。
いつもの笑顔で「またね」って
そう言って欲しかった。

「さよなら」なんて聞きたくなかった。

そしてラストライブ。
いつも通り朝起きて
いつも通りライブの支度して
いつも通り会場に向かって
いつも通りみんなと会って
本当に終わりなんて実感しなかった。
というかしたくなかったんだと思う。

でもライブが始まって
ハイドアンドシークが流れた瞬間
もうだめだった。
始まったら終わりがあるんだ。
そんな当たり前のことに
目を背けて生きてた。
でも始まりを実感した時
終わりも実感した。

あともう少しでplentyが終わる。

そう思った時走馬灯みたく
今までのライブが蘇ってきた。

CDJ1415の時
江沼くん声の調子が悪くて
蒼き日々の時声出てなくて
それに苛立ったのか
最後ギター鳴らして一人足早に
そのステージを去った。

ある意味嬉しかった。
ちゃんと人間なんだと思ったから。

CDJ1516の時
初めて、初めてだよ。
plentyで声が上がって腕が上がった。
江沼とにっちは面白そうに笑ってた。

そこから枠や最近どうなので
声や腕が上がるのが定着してきて
私も楽しかった、ずっとあげたかったから。

そんなことが頭の中で思い出されて
最初に観たplentyと
今このラストライブのplenty
進化して前を向いて歩いてきたんだなって
それが今終わる、
もう二度とplentyのライブは行けない
それでもplentyの曲で私は救われるし
きっとplenty好きな人はずっと好きだし
ここまで愛されるバンドになったことが
嬉しくてたまらなくて
そんなバンドが解散することが
悲しくて仕方なかった。

それでも見届けたよ。
涙で視界がぼやけたけど私の中で
最高のライブだったよ。

plentyと雨は似合うなあ
なんてことを思ったりもしながら
plentyは解散した。
全身全霊のライブで私達から去った。
2017.9.16

そして2018.9.8
江沼郁弥ソロとして復活。

もちろん行った。
でも全曲知らないし不安もあった。
どんな曲やるのかなって。

でもそこでsoul聴いた時
私初めて、その場で聴いた曲で泣いた。

「僕には嘘が隠れてる
僕には悪が隠れてる
それでも愛を抱えてる
だから歌うよ
気のすむまで ラララ」

これからも歌ってくれる
江沼郁弥の音楽が聴ける
そんなこと考えてなかったから
すごく嬉しくて
涙がポロポロ流れてきたんだ。

ありがとう戻ってきてくれて。
ありがとうまた歌を歌ってくれて。
ありがとうまた私に生きる理由をくれて。

私の人生において江沼郁弥という存在は
なくてはならない存在なんだ。
これからも生きていけるよ、ありがとう。

待ち合わせの途中で会えてよかった。
これからも追いかけ続けるよその背中を。

そして話は変わるのだけど
江沼郁弥ソロとしてやってる中で
plentyの曲をちょくちょくやる。
それに対して疑問に思う人や
それは違うと思う人が結構いると思う。

私は単純に嬉しかった。
隣ににっちがいないのが寂しいけど。

江沼君に聞いたんだ。
なんでplentyの曲やったんですか?って。
純粋に。
そしたら
「中畑さんとなにかやろうってなったとき
あいというが出てきて
それでやろうってなったんだよ」
って言ってて

ああなんだ、やりたい曲をやってるんだ
そこに江沼もplentyも関係ない
その時やりたい音楽をやってるんだ
そうすんなりと思ったんだ。

江沼君は自分の音楽論を語るのが嫌で
話してる時も
「こんなこと普段言わないけど!」
って言いながら自分はどうやりたいか
ずっと話してくれた。

好きな音楽で好きなように楽しんでほしい
自分は周りのことは考えない
自分の好きな音楽だけやってる
雑誌のインタビューで聞かれる
「この曲はどういう気持ちで
書いたんですか?」
という質問は無粋だ
曲はお客さんが解釈すればいい
そこに俺の意図を入れてしまったら
皆んながたのしめなくなる
音楽はもともと自分で解釈して楽しむもの
それができなくなっちゃだめだ

こんなことを15分くらいずっと話したんだ。
江沼君ってわかる人にはわかるけど
きっと最近知った人からしたら
何考えてるのかわからない種類の
人間だと思ってる、勝手に。

でも江沼君ほど音楽について考えてる人
なかなかいないし
こんなに熱を持って話してくれたことが
私はすごく嬉しかった。

だから江沼でplentyの曲をやることに対して
疑問など抱いてる人には
この記事を読んで欲しい。

代弁するつもりもないし
私は江沼君から直接聞いたことを
書いてるだけだから
そこでどう捉えるかは自由。
嫌な人は嫌なままでいい。
それも一つの音楽の楽しみ方だから。

ただやりたい時にやりたい曲をやる。
それが江沼郁弥なんだなって
私はわかったよ。

一つ言われてそっかと思ったのが
「君バンドやってた?」
って聞かれてやってましたって答えたの。

そしたら
「その時さ、お客さんの反応よりも
自分たちが楽しかったらよくなかった?」
って言われてハッとした。

周りのバンドはみんなが
知ってる曲やってた。
でも私はplentyやエルレをやってた。
好きだったから。
歌ってて気持ちよかったから。
みんな知らないよplentyもエルレも。
そもそもバンド好きな人が
あまりいなかったし。
それでも私はやってて楽しい方を
選択した。
だって私たちが楽しくなきゃ
お客さんも楽しくないもん。

楽しい方を選択するのは当たり前で
それをやってるだけなんだなって
私はその時スッとわかったよ。

とても長くなったけど
何が言いたいのか

私はplentyも江沼郁弥も
これからもずっと大好きです。

これから先何があっても
ついていきます。

そこで新しい出会いもあるでしょう、
その時はよろしくお願いします。

それでは。

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